好き好き大好き超愛してる。 / 舞城王太郎

好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)

好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)

愛は祈りだ。僕は祈る。僕の好きな人たちに皆そろって幸せになって欲しい。それぞれの願いを叶えてほしい。温かい場所で、あるいは涼しい場所で、とにかく心地よい場所で、それぞれの好きな人たちに囲まれて楽しく暮らしてほしい。最大の幸福が空から皆に降り注ぐといい。僕は世界中の全ての人たちが好きだ。

それはあまりにも陳腐で青くて。それでも、この冒頭4行にやられます。
芥川賞候補作にもなった純文舞城の代表作は、愛と祈りと小説についての直球の物語。でもなんというか、これが芥川とったらびっくりしたでしょう。私のイメージでは、そういう感じではないです。ガンで死にゆく少女と、小説家の彼氏の話という主線に、現実離れしたサイドストーリーが挟み込まれているのですが、この構成自体の意味が私にはさっぱりわかりませんでした。というか、全体として細かい意味を考え出すとさっぱりです。ネットで書評をする人間的にはここでばっちり舞城の評論とか分析とかできるとそれっぽいのですが、残念ながら私にはその資格はなさそうです。ただ、それでも読んでいて面白かったのは事実。文章も読みやすいし、所々で訴えられることも、現実離れした話もそれ自体面白かったです。戦闘美少女的なモチーフをつかった「ニオモ」が面白かったです。こういうオタク的な要素を当たり前に使っちゃうのがこの人らしいです。
愛の話は、どんなに叶う訳のない願いでも、どんなにそれが自分勝手でも、愛はそんなもの関係なく言葉にするべきだし、だからそれは祈りだし、祈りは言葉だから小説なんだという話だった気がします。この辺りのメッセージは素敵。愛は祈りなのです。なんだかサンボマスターを少し連想したのですが、それは私だけでしょうか。
しかし、「好き好き大好き〜」の方を訳分からないと思って読んでいたら、「ドリルホール・イン・マイ・ブレイン」でそんなものは全然甘かった気付きました。なんだ、「好き好き〜」の方は全然読みやすいし分かりやすいじゃないかと。世界が私の中にあるのか世界の中に私があるのかみたいな話が、荒唐無稽なストーリー展開で畳み掛けるように展開。この人がアクセル全開の時の滅茶苦茶加減は、ちょっと私にはついていけません。凄いけど、無理、みたいな。
満足度:B+