【小説感想】蜜蜂と遠雷 上・下 / 恩田陸

 

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

 
蜜蜂と遠雷(下) (幻冬舎文庫)

蜜蜂と遠雷(下) (幻冬舎文庫)

 

 芳ヶ江国際ピアノコンクールに挑む天才たち。彼ら自身の、そして彼らを支えた友人や家族、審査員たちの視点を交えて、1次予選から本戦までを、広く、深く、真っ向から描ききった大作。

これまでのコンクール参加歴なし、自宅に楽器を持たない養蜂家の息子で、偉大なる音楽家の残したギフト、風間塵。かつて天才少女と称されながら、母の死と共に表舞台から姿を消した栄伝亜夜。華やかなスター性と抜群の技術を併せ持った優勝候補、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール。サラリーマンを続けながら、生活者の音楽を掲げ最後のコンクールに挑んだ高島明石。

彼ら彼女らがどう音楽に、そしてこのコンクールに向き合ったのか。コンテスタント同士がお互いに与え合う影響、関係性。周りの人たちとの関わり、向けられる視線、彼らに触れた審査員たちの反応。それらを余すところなく描きながら、中心にあるのは演奏シーン。全ての答えは、何よりも雄弁に演奏において語られ、それがまた新しい波紋を広げながら、コンクールは佳境に向かっていく。そんな話、面白くない訳がないです。ただ、そんな小説を書き上げるのがどんなに大変かなんて素人目にも明らかで、それを真正面から描ききっているのだから、すごい小説を読んだなと思います。それはもう、当然面白かったです。

音楽の、特に演奏シーンを文字媒体で描くというのは、なかなか難しいのではないかと思ってしまうのですが、小説だから書ける、小説でしか書けないものとして、これほど多くのコンテスタントたちの演奏が描かれていたのが印象的でした。鳴っている音を書くのではなくて、演奏が喚起するイメージや心の動き、その演奏があった、その時間、その場所の瞬間を鮮やかに切り取るかのような描写。きっとこの作品の演奏をそのまま再現しようとしたって、同じものは決して生まれない、そこにしかなかったものを描くために注ぎ込まれた熱量が、読んでいて伝わってくる感覚、興奮が凄かったです。

登場人物の設定も関係性もこんなもの好きに決まってるじゃんの特盛って感じなのですが、個人的には栄伝亜夜の復活劇が好きです。自分は普通みたいな顔をしながら圧倒的に特別なの、本当に、才能ってやつはね。あと亜夜とマサルとの関係もそんなのズルくないって感じだし、風間塵の天衣無縫の天才っぷりも、持たざるものがそのステージに手をかける明石の挑戦も熱かった。この辺り、なんだかもう少年漫画のバトルトーナメント編を読んでいるような感じすらあります。あと、先達たる審査員たちには審査員の見ている世界があるのも良かったです。

コンテスタント同士も、当然審査員たちにも、演奏を評価、分析するような視点があるのもこの作品の特徴だと思うのですが、読んでいると引っ張られて、魅力的だけれど高難易度の題材に挑んだ作者の発表を見ているような、メタ的な感覚になってくるのが不思議。そういう意味で、直木賞本屋大賞ダブル受賞の実績は、まさしくこの作品自体がコンクールを制したみたいなもので、ちょっと考えすぎかもしれないけれど、それはなんだか粋な結果だなと思ったり。