"菜々子さん"の戯曲 Nの悲劇と縛られた僕 / 高木敦史

3年前に小学校で起きた事故。Nは命を失い、僕は全身麻痺で寝たきりになり、"菜々子さん"は本名を呼ばれると発作を起こすようになった。そして今、病室で横たわり続ける僕に向けて、菜々子さんが語りだす。「わたしは、あの事故は、事件だと思うの」
毎日病室に通いつめ、僕にその日の出来事を語ってくれる菜々子さんの言葉と、事件が起きるまで、菜々子さんやNや他のクラスメイトたちとの過去の回想。それだけをベースにして、一切の体の自由を奪われたままに、僕の思考だけがまわっていく。現在と過去を交互に挟みつつ、そうした不思議な視点から語られる物語は、3年前の事件を焦点にして、その真相を追いかけるようにして進みます。
当時のクラスでの僕こと坪手の様子。めんどくさいことからはなるべく距離を取り、いじめのようなことでさえも、所謂普通ではない、自分の観点から見ているような少年の、クラス内での立ち位置や周りからの扱いや、世の中を斜めに見ながら子供っぽさも合わせもつようなひねくれた性格の妙にリアルな手触り。そして彼に関わってくる、菜々子さん。快活な雰囲気と可愛らしい姿に、自分自身が正しいと思ったことに絶対の価値を置き、自分自身が望んだことを叶えるためなら手段は選ばない、子供らしさの裏返しのような独善を見せる少女。彼ら彼女らの学校生活が描かれていくに従って、そこに見える歪みが募らせる疑惑。
そして現在。名前を呼ばれると発作を起こす、そんな病気を背負った菜々子さんが、どうして今更3年前のことを語りだすのか。あからさまに僕を誘導しようとしているような、僕に何かを恐れているような彼女が語る言葉の一つ一つ。そこから、秘められた真実を追いかけるように、僕の思考は広がっていきます。
菜々子さんという少女の謎。当時事故が起こった原因。様々な要素は絡みあって、いくつかの仮定を元に、1つの方向へと僕の推理は進んでいって。それでも、読者としてはどこかモヤモヤとしたような、何が分からないのかよく分からないけれど、確かに何かが足りていないような違和感を感じるままに、物語は進みます。
そして、ラストに待ち受けるのは僕のたどり着いた一つの真実。そこに、ようやくの納得感を感じて、その先に浮かび上がった全体像に驚きと、背筋がぞっとするような感覚を味わいました。
人を繋ぐこと、人を縛ること。それは純粋な好意から来るものであっても、それがただ真正面からの気持ちの通じあいによってもたらされるとは限りません。だから、人を欺いて、自分の望むように思わせる、自分の望むように動かす。それが、純粋な好意でありえないと言えるわけもなく。
救われない、取り返しの付かない出来事をリスタートの地点にして、呪いと呪いで結ばれたような、決して離れることのない関係。一つ一つのエピソードの積み重ねの上にそんな関係を描き出す底意地の悪さに、悪趣味さと同時に特別な魅力を感じました。
正直構成的にとっつきずらさはあるように思いますし、中盤からの展開は少し冗長なようにも感じましたが、物語が終わったときに浮かび上がってくる、坪手君というキャラクター、彼と菜々子さんの関係。そして何よりも、物語の向こう側から立ち上がってくる"菜々子さん"というキャラクターの圧倒的な存在感に思い切りやられる。これは、そういう物語なのだと思いました。面白かったです。