【映画感想】劇場版マクロスΔ 絶対LIVE!!!!!!

物語の持つテーマとしても、キャラクターの選択としても、それはそうなるだろうと、何も言うことは無いと思うのです。それはそう。でも、観終えて最初に思ったのは、やっぱ辛いなという気持ちではあるのでした。

 

タイトルが絶対LIVEで闇のワルキューレが出るというから、何か紅白歌合戦的なお祭り映画という先入観がありました。実際紛うことなく紅白歌合戦ではあり、前作までの積み残しを豪勢に盛り盛りで消化していくお祭り映画でもあったのですが、いやしかし「LIVE」ってそっちの意味かあ、なるほどねえという、ストレートに生きることの意味を問うてくる映画でした。そしてその中心にいるのがフレイア・ヴィオン

元々短いウィンダミア人の寿命を、ワルキューレとして歌うことで縮めている描写は前々からあって、それが進行してこれ以上は危ないとなった時に、彼女は何を選ぶのかが問われるのが今回。答えはワルキューレとしてハヤテのために歌うことでした。それがフレイアが生きるということ。確かに、彼女はそうやって壁を越えて、夢をつかんできたのだから、どこからどう見たって正しい答えだと思います。そう思うだけに足る、今この瞬間を生き切ったという熱量と感情の強さがこの映画にはあったと感じます。

 

それでも、フレイアの性格や序盤の里帰りのシーンとかを見ていると、どうにもこうにもフレイアは親戚の子供みたいな印象が強くって、それがようやく見つけた恋をして、さあ幸せになろうって時になんでだよという気持ちが生まれるのです。いやそうは言ったって、生きてこそだろうよ、早すぎるだろうと。

でも、その認識はもしかしたら違っているかもしれないというのがミソというか、この話の憎いところで、そう思うのはやっぱり私の感覚だからなんですよね。序盤から念を押すように繰り返し語られる、ウィンダミア人との違いはなんだったでしょうかと。3倍の寿命を持つ奴が、何を分かったような口をという話にもなる訳です。

フレイアをまだこれからの子供みたいに思うのは私の感覚に過ぎなくて、ウィンダミア人としては人生折り返しまで来ている立派な大人で、同じくらいの歳の子たちは結婚して子供もいるような年齢です。時間が限られているということは、選択できる一度の機会だってずっとずっと重たい訳です。そんな彼女のことを、何か分かったように早すぎるなんて言えば、それは無邪気に10年後を語って彼女を傷つけたハヤテと変わらない。

そうやって気が付けば作中に大きなテーマとしてあった人種の違いは、フレイア・ヴィオンというウィンダミア人の生き方に何を感じたのかで、観ている私にも突きつけられているような気分になりました。ここにはずっと異文化コミュニケーションという命題があって、このラストをどう受け止めるかで視聴者も試されている、そんな感覚。音楽と戦闘シーンが彩るド派手なエンターテインメントでありながら、物語の結末をシンプルに喜んだり悲しんだりだけではいさせてくれない、そういう深みというか、ある種の意地の悪さのあるお話だなと思います。