【小説感想】プロトコル・オブ・ヒューマニティ / 長谷敏司

バイク事故で右足を喪ったダンサーとそれ自体が行動を予測して補助するAI義足の共生を通じて、身体性と人間性の根源に切り込む物語。なのですが、それだけでは終わらない凄みのある一冊でした。

人間性というものを描くときに、AIに心はあるのかという部分にフォーカスしていたのが「BEATLESS」だったと思うのですが、今作はそこに意思があるのか、そこに精神性があるのかというアプローチではなく、徹底して身体を通じた対話を取り扱っている作品だと感じます。個の掘り下げではなく常に他者を前提としたダイアログを観察して、その対話のプロトコル人間性を探る試み。身体の動きが発するメッセージという原初に立ち返ったうえで、そこにAIやロボットを他者として並べることで、人間とは何かを見つめるような、そんなお話でした。

ままならないAI義足との共生、AIによる振付とロボットとの共演で舞台を見せるダンスカンパニーへの参加。その方向性での掘り下げは最終的に動きによる対話を「距離」と「速度」まで還元して捉え、その地平でロボットとのプロトコルを設けることを模索するところに至ります。概念的で抽象的で、人間性を理論として解体することで極点に迫るようなアプローチ。けれどこの物語ではもう反対側の極に振ったような出来事が、その歩みを妨害するかのように差し挟まれます。

有名なコンテンポラリーダンサーだった父親の認知症と介護生活の始まり。日常生活もままならない、狭い実家の中で繰り返される不条理。親子という一番狭くて近い関係で、崩れていくプロトコルを目の前にして、ただ広がるのはどこまでも生々しい現実。そこには理屈で片付くことは無くて、肉体や匂いをキーにした、煮詰まっていくかのような関係性が描かれます。

読んでいると主人公と同じようにあまりに突然にすべてを介護に持っていかれたように感じて、その圧倒的なリアルにどう読めばいいのかと面食らってしまうのですが、ただこれもまた対話というものを捕らえたもう一つの極点なのだなと、読み進めるうちに思うようになりました。AIと相対する純粋な理論としてのプロトコルと、認知症の父親と相対して壊れていくプロトコル。どちらかだけではなく、その両極を混然一体としながら、そこに何があるのか、人間性とは何かを見つめ続けるからこそ、踏み込めている領域があるのではないかと感じます。

そしてその両方のアプローチのクライマックスが、ダンスカンパニーの公演と実家での父親とのダンスになるのですが、これがどちらも良かったです。特に、ダンスカンパニーのロボットと義足ダンサーの競演の舞台は、文章で読んでいるのに目の前に全く新しい表現が立ち上がってくるかのような臨場感と緊張感があって凄かった。カンパニーのメンバーたちの組み立ててきた理論や、重ねてきたトライアンドエラーの舞台上での結実も、AI義足と共生してきた主人公だからこそ踊れたロボットとのダンスも、鳥肌もののステージでした。

何かを悟ったり、明確な答えがある訳ではなくて、ただじっと身体による対話のプロトコルを見つめ続けるような一冊。読み終えてから誰かと対峙した時、そこにどういう手続きがあって、どんな情報が交わされているのかがふと気になってくるような物語でした。