リアルな世界に悩むより、思考の海を漂ってたほうが幸せなのは、いけないことでしょうか。


私はボーっとしてる時間が非常に多いです。たとえば、駅から家まで歩いてくる途中にボーっとしててその間の記憶がなかったり、家から出るときもボーっとしててカギをかけたかの記憶がなかったり、お風呂でボーっとしててリンスしたかの記憶がまったくなかったりなどなど。ボーっと何をしてるのかといえば、思考がどっかに飛んで、何らかの漠然とした考え事をしている訳です。そんなのが、起きてる時間のかなり大きな部分を占めるので、必然的にリアルに対する興味は小さくなっていきます。選挙がどうしたとか、戦争がどうしたとか、経済がどうしたとか、そういうことにはあんまし気が回ってないで生きてるわけです。また、そんなにマクロな話じゃなくても、サークルで何しようかとか、バイトでもしようかとか、そういう身近な事まであんまし考えなかったりします。頭の何割かは常に漠然と何かを考えてるような。そして、特に最近その割合が飛躍的に高くなってる気がします。考えたことは、何とか言葉になった場合は、こうやって文章になって何らかの日の目を見るのですが、霧のように現れては消えることが専らです。
さて問題なのは、そんなことで大丈夫なのかという事です。身体と思考が切り離せないものであるからには、思考にばかりかまけていてはいけない気がするのです。親の庇護下にいる今はまだいいとして、そのうち働かなければ食べれなくなるし、食べれなくなれば身体に問題をきたす訳で、リアルに向き合うことは避けられなくなります。もちろん、その時になれば何とかなるのかもしれませんが、身体的な問題があることも含めて、大丈夫だろうかという不安は抜けません。
まぁ要するに、モラトリアムなわけですが。フワフワとしたままどうしたものか。


最近日記が妙に長いなぁ。大学が始まれば短くなるか。