ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート / 森田季節

奪われるため、殺されるためにある存在「イケニエビト」を巡る3人の少年と少女の物語。
切ないとかほろ苦いみたいな言葉で表現できそうで、でもその言葉の持つイメージと少しだけずれているような、何かが足りないような、そんな不思議な読感を残した作品でした。上手く表現できないのですが、魅力的だったことは疑いありません。
その記憶をタマシイビトに喰われるためだけに存在するイケニエビト。死ぬと殺した人以外の記憶から消えて、また数年後に甦り、短い時を生きる。そんな蜻蛉のような存在とそれに関わった少年少女たち。
一つ目の物語。大人しい少年神野と烏子という少女が、音楽という絆で結びついて、ベネズエラ・ビターとして過ごした短い時間の物語。
二つ目の物語。誰とでも仲良くなれると思っていた少女明海が、感情を表に出さない実折という少女に関るうちに、虐めに加担する形で巻き込まれ、そして二人で逃げようとした短い時間の物語。
三つ目の物語。修学旅行先で消えていくクラスメイトの中で、巻き起こる出来事の恐怖と自らの気持ちとに揺らいだ少年藤原の物語。
そして、現在。蘇ったイケニエビトである実折=烏子と神野と明海の物語が始まります。過去の話を結んでいく音楽という要素。死という概念が当たり前のようにある空間で、定められた終わりから逃れられない関係の中で、嫌ったり、惹かれたり、繊細に揺れる少年少女の気持ち。どこか閉塞感のある暗い物語なのに、どこまでも澄んでいるような感覚にとらわれる不思議さがありました。見通しの悪い霧の中で、透明な空気を吸ったような。
淡々とした気だるさ、社会に対する若い反発、そしてイケニエビトの運命。死という要素すらフラットな世界の中で、決してハッピーエンドとは言えない、けれど未来へ繋がる希望を見せてくれたラストは凄く良かったです。
物語の構成やイケニエビト、タマシイビトという設定に関しては、突っ込みどころがいくらでもある気はしましたが、それはこの作品のポイントではないのかなという感じ。彼らを結んで、未来へ繋げた音楽という要素まで含めて、そういったもの全てが、この独特の、けれど今らしい空気を作っているのかなと、そんなふうに思いました。