虐殺器官 / 伊藤計劃

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

9.11以降、アメリカとテロリズム、情報化された監視社会。今現在の世界のあり方を真正面から見据えて、深く広く考えぬいて、そして産み落とされた物語。これはもう、ただ圧倒されるような、本当に凄いとしか言えないような何かでした。
アメリカの暗殺部隊に所属している主人公の語りで進む物語は、多くの人が死んで行く様々な戦場を描き、宅配ピザの普遍性が支配するアメリカを描き、混沌状態に陥った貧しい国々を描きだします。その中で綴られていくのは、そこを歩んでいく主人公が、つきまとうように夢にあらわれる死者の国の風景の中で、痛覚を抑制され良心を調整されて送り込まれた戦場で、自らの言葉で母親の命を絶ったアメリカで、そして監視対象として出会ったルツィアとの関係に、虐殺の起こる場所に必ず存在し常に暗殺の対象として現れる謎の男ジョン・ポールに、一体何を想い何を為すのか。
情報によって人間は徹底的に管理・監視され、不確かな心であったはずのものの幾許かは脳への対処でコントロールされ、機械は人工の筋肉を纏う世界。個人の特権だった多くのものが、管理可能なものへと分解されて、その特別さを失っていく。そんな世界の中で人間らしさが逆に浮き上がることはなく、それでも人間が人間であることからは逃れられない。幼い少年少女の兵士たちを殺すことに対しても淡々とした一人称。広がる生々しい光景とは裏腹に手触りを奪われたようなそこにあっても、逃れられないもの。行動の意味、意識の拠処、罪と罰、赦し、哲学、宗教。生きること、死ぬこと。
主人公が問い続けるのは、きっとこの時代に人として生きて死ぬということ。リアリティを失っていく中での切実さのようなものが、様々な風景や学問や出来事を媒介にしつつ伝わってくるような感じは、じわじわと締められているようでした。
そしてその主人公を通じて描かれるのはこの世界の仕組み。ジョン・ポールという人物や「虐殺の文法」は、この物語をエンターテイメントとしても面白いものにしていますし、ルツィアとの関係もまたそういう感じ。ただ、彼らが縮図として織りなすのは、やっぱり9.11以降のテロの時代なのだと思います。高度に情報化されながら、触れたいもの、触れられるものしか見えない世界。安定と平和の遙か向こう側で、それを支えるために積み重ねられる惨劇の山。生物とはどういうものであるのかまで広がり、人間とは何か、倫理とは何か、そしてこの社会はどういう仕組で成り立っているのかを真摯に見つめた結果がここには描かれているのだと思いました。
それから、ストーリーそのものにはあまり関係ないですが、個人的に面白かったのが言語についての話。言語が世界を形作るのではなく器官に過ぎないという話の中で、言葉を超えて人に届くものとして音楽が例にあげられいてなるほどと思ったり。言葉より向う側にある何か、例えば「虐殺の文法」的なメタテキストや、もっと漠然としたそれこそ言葉で表せない何か。私はとかく言葉で思考して、言葉で語ろうとするタイプの人間ですが、言葉を弄して手を伸ばしたいのは、矛盾してはいますが、その向う側にある感覚というか感触というか、言葉で表せないそんな何かなんだろうなと思いました。
そんな感じで、圧倒されつつも色々なことを考えさせられるような小説でした。前々から凄いとは聞いていましたが、読み終わって本当にバカの一つ覚えのように凄いという感想ばかりが浮かんでくる一冊だったと思います。凄かった!