六百六十円の事情 / 入間人間

六百六十円の事情 (メディアワークス文庫)

六百六十円の事情 (メディアワークス文庫)

結局さ。結局さぁ。お題目とか哲学とか、悟りとか決断とか。
なんでもいいよ。どんな形でも、だれかが与えてくれるものでもいいから。
一つでも人生の過程を認められれば、少しは前向きになれるんだよ。
人間ってそんなのものね、ってね。

嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」の湯女パートも、「電波女と青春男」の女々パートも、「僕の小規模な奇跡」も、入間人間の描くこういう青春ものは好きで好きで仕方がない私としては、もう本当に大好きだとしか言えないような一冊でした。
普段はスーパーの特売情報しか書き込まれていないような街のコミュニティサイトに書き込まれた「カツ丼は作れますか?」という書き込み。それを見た大人から子供まで9人の街に住む男女の繰り広げる日常は、それぞれの事情で隣り合うように絡んで、そしてカツ丼のもとに一つのストーリを紡ぎます。
彼氏と同棲中のニートで、ギターをかき鳴らして駅前で歌っているビートルズねーちゃん。その彼氏が勤める食堂の娘と、そのクラスメイトの男子の出会い。その男子の弟とクラスメイトで、お母さんへの不満から家出をしようとしていた少女。先の男子が万引きをしていた書店の息子で、今はビートルズねーちゃんたちと同じアパートで同棲中の男。4章に分けて語られる彼ら彼女らの生活と、街の老人の視点から隣あった彼らの日常が結ばれていく後半の展開では、何も特別なことは起こらなくて、だからこそ特別なものがたくさん詰まっています。
入間人間の描く青春は、基本的に大きな夢なんて描かない、そんなものは描けないというところから始まっているような気がしていて、だから決して彼ら彼女らは特別な人ではありません。そこにあるのは、やりたいことを見つけられなかったり、何かに不満を感じたり、一歩を踏み出せなかったり、そんな当たり前な人々の姿。
そしてこの物語は、夢を叶える成功物語でも、派手な体験を重ねる成長物語でもありません。ともすれば後ろ向きで、地味なだけの物語。でも、この人が描き出す世界は、後ろ向きなりに前向きで、大きく変われなくても小さくは変わっていて、何よりありのままの自分と世界を認めていくようなものだと感じます。
カツ丼から始まる小さな物語は、決して世界を変えるような出来事には繋がりません。彼らは世界のヒーローでも主人公でもありません。それでも、彼ら彼らなりに悩み、迷い、そして歩みだす。そしてこの小さな街の中で、誰かのちょっとした決意や行動が、誰かの毎日を変える特別になって、それがまた別の人にとっての契機になって、そうやって繋がっていく日常。
特別じゃなくたって、人は一人で生きるのではなくて、いつか誰かの当たり前が、自分の特別になるかもしれない。そしてそんな日常を、急には変われなくたって、少しづつ影響を受けて、少しづつ影響を与えて、一生懸命に生きていくこと。それを素晴らしき日常だと、優しく讃えるような物語でした。
それぞれの章の中では、1章のビートルズねーちゃんの話が好きです。もやもやして、ぐるぐるして、逃げ出して、そして見つけた答えのような不確かな何か。エキセントリックな人ではありますが、誰もが感じるような思いを抱えて全力で駆け抜ける姿は、等身大で愛しいものだと思うのです。そしてニートな人々と、仕事をしてお金をかせぐということの捉え方は、この小説通じて描かれていているテーマの一つなのかなとも思ったり。
他の章も、ちょっと変わっているけど、ギリギリのところでリアリティのあるキャラクターとか、力の抜けたどこかダウナーで、でもまっすぐな空気とか、そういった部分のバランスが凄く良くて、何気ない日常が素敵なものだと感じられました。ただ、さすがにカツ丼で話を結んでいくのは、少し無理の出ている部分があったかなとも思いますが。
些細なきっかけと、決断と、行動と。時に悩んで、時に悩むよりも走って、小さな出来事を積み重ねて、私たちは今日も生きていきます。大きな夢なんて見れないこの時代の中で、適度に肩の力を抜いて頑張って毎日を生きて行こうという、等身大の前向きさを見せてくれるこの人の作品は、甘いのかもしれないけれど、読み終わったあと少しだけ心が軽くなったような気がするから、私は大好きなのだと思います。
それと、表紙が凄く良いなと思ったら、イラストが宇木敦也で、デザインが里見英樹となっていて納得。作品の雰囲気を上手く捉えた、素敵なイラストとデザインだと思います。