あなたの好きは、誰かの嫌い。誰かの好きは、あなたの嫌い。

おかげさまで、つまらない作品を読んだことがありません - 魔王14歳の幸福な電波
を読んで「何か書きたい!」と思ったので何か書いてみました。
どんなものでも面白がれるスキルというものは、身につけたいとも思いますし、身につければもっと心が豊かになれるような薄い確信もありますが、残念ながら私は魔王さんほど悟りの境地には至れないので、ちらっと見て切り捨ててしまったり、読んでから合わなかったなぁと後悔したりすることもしばしばあります。羨ましい。
ただ、多くの人が面白く感じるポイントを持った作品だとか、少数の人しか見つけられないけどその人たちは熱狂するポイントを持った作品だとか、誰にも見つけられないまま駄作と捨て置かれる作品とか、それを十把一絡げに「面白さがある」という言葉でまとめてしまうのは豪快すぎる気はします。でもそんなことを話し出すと、「客観的な優劣」というどこまで行っても観測できない、でも確かに存在しているような気はする幽霊さんと格闘しなくてはいけなくなるので難しいところではあるのですけど。
だからこそ重要なのは、魔王さんが後半で仰られているように、自分の持つ「評価軸」がある作品は楽しめるけどある作品は不愉快になる、そういう場合にそれと相いれない「評価軸」を持っている他人を批判したり否定するのはやめようってことなのかなぁと。「みんな違ってみんな良い」も「もともと特別なオンリーワン」も、キレイゴトオブキレイゴトなことは分かりますけれど、何か作品を楽しむ時くらい認め合う精神を持つことは大事なんじゃないかと自戒も込めて思うのです。作品の評価を巡って論争をすることが目的な人はその限りではありませんが、自分が作品を楽しんでその作品について語りたいと思うならば、他人がその作品を楽しめずに自分には理解できない作品を楽しんだとしても、お互いを貶め合うようなことはやるべきではないのかなと。
物事はそんなに単純ではないということは重々承知していますが、理想を心がけることから始まる何かもあると思います。あなたの好きは、誰かの嫌い。誰かの好きは、あなたの嫌い。そこに「正しさ」はありません。